無言論の教室

『無限論の教室』(野矢茂樹)~数学の意外な一面を教えてくれる

無限ってなんだと思いますか? 「無限に広がる大宇宙」という表現は、「無限とも言えるほど広大な宇宙」という意味の表現ですので、この場合の無限は、途方もなく大きいという程度の意味です。そうではなく本当に限りがない存在としての無限とはどのようなものでしょうか。

無言論の教室

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■無限のパラドックス

古代ギリシアの哲学者ゼノンのパラドックスと知られているものに、こんなのがあります。

「物体は移動し得ない。なぜならば、物体が移動を完了するためには、移動する二点の半分を移動せねばならず、
その移動を完了するためにはさらにその半分を移動しなければならない。
しかし、これは無限に続くのだから、その移動を完了することはできない」

『無限論の教室』での野矢茂樹の立場は、このパラドックスに立ち向かうものです。どうしたらこのような馬鹿げたパラドックスに惑わされずにすむようになるのかと。

■実無限と可能無限

現代の数学では、実無限の立場が一般的です。これは、無限を完成した一つの実態として想定する立場です。
もちろん、無限なんてものはすべてを書き出すことなどで気はしないし、何かしらの行為が完了することもあり得ないのですが、それが完了する場面を想定できます。

一方可能無限というのは、無限とはいつまでも続けることが許されることだと考える立場です。
自然数が無限なのは、無限に存在する自然数の全体なる何者かがあるのではなく、気が済むまでいくらでも数え続けることができるような存在ですよ、ということです。

無限論の教室で野矢茂樹は可能無限の立場を支持し、世界の側に無限の手続きを完了することを求める必要などなく、そんなものは観察している人が気が済むまで完了した手続きを確認するだけなんだというわけです。

■数学のトリビア

トリビア

無限論の教室の最終テーマではゲーデルの不完全性定理を扱うんですが、さすがにこのあたりになると読んだときは理解した気になっても、あとで思い返すと「あれ、どういう証明だっけ・・・」となってしまいます。
しかし、この本の面白い部分は、それより手前にちりばめられた数学的な豆知識です。

たとえば我々は自然数には0を含めないと教わっています。
先進国ではフランスあたりが0を自然数に含めて教えているようですが、日本では0は含めないことにしています。ところが本書で野矢茂樹は言い切ります。

「自然数に0を含めないのは素人です」

いえ別に、実際は自然数に0を含めなくてはいけないというわけではありませんし、含めない考え方もちゃんとありますので、
これはあえてそう表現しているんだと思いますが、こういう考え方があることを教えてくれるのは貴重です。

あるいは、自然数と実数では、どちらの集合の方が濃度が大きいか? という問題に対しても、対角線論法を使って実数の濃度の方が大きいことを証明してくれます。
だって両方無限でしょ? なんで無限により大きいとか小さいとかがあるの? という疑問に答えてくれます。

■タジマ先生

野矢茂樹の著書の例に漏れず、このようなちょっと難しいテーマを扱っていながらも、やはり読みやすくなっています。
作中には三人の人物が登場し、講師役のタジマ先生の解説という形で進行します。生徒役は、できのいい女子大生と、追いつくのに必死な大学生の二人です。
タジマ先生が野矢茂樹の分身であり、生徒役の二人は読者の疑問を代弁する分身というところでしょうか。

生徒「こういう無限級数があることをゼノンは知らなかったから勘違いしたんですね」
タジマ「あさはかですねぇ」
生徒「でも仕方ないじゃないですか、ゼノンの時代にはまだ知られていなかったんだから」
タジマ「君ですよ、あさはかなのは」
生徒「えっ」

こんなやりとりがふんだんに詰まっています。